関する条件は

そんな馬鹿にするってのとは全くの逆で、ほら?いつも凄いなあって・・・、そ、そう思ってたから、アンタのこと。
ほら、アンタのパワーとか、なんかそういう生き方?みたいなものにさあ」
なんてわたしは正直にそう思っていた。

 このチハルってオンナは大学時代の友人の中でも群を抜いてぶっ飛んでいた存在で、(特に夜遊びや恋愛、セックスなんかに関して)わたしなんかよりもいつも二歩 も三歩も先を行ってるような、いわゆるよくいる典型的な不良の先輩みたいな存在だったわけで・・・、もちろんわたしも含めたその辺にいる凡人友の会グループは当時彼女をやや敬遠していた?なんてこともなくはなかったのだったが、それでもそんな彼女にちょっと追いつけない分のいわゆる羨望に近いコンプレックスのような感情をいつも彼女に抱いていたのは確かだった。
そんなチハルがいきなり鬱だなんて。
こりゃあマジで天変地異は近い、なんて言えるのかもしれない。
そう言えばもう、このシェアハウスに越して来て、かれこれ半年近くになる。
わたしたち3人が常連だった(元々はホンジョウさんがみんなに紹介した)新宿のゴールデン街にある赤い砂漠」というバーで飲んでいた時のことだった。

ここのオーナーのナカバヤシさんが、亡くなった叔父さんから受け継いだ一戸建ての面白い物件があるから誰かもうふたり一緒に住みたいヤツなんていないか?なんてことをその店で突然言い出し、ナカバヤシさんが提案してきたその家賃の安さに感動したわたしとトオルが速攻で反応し、確かふたり、迷わずその場で即決したのを憶えている柏傲灣示範單位
当時のわたしはと言うと、別れた旦那から慰謝料としてもらった頭金2000万円分が既に支払われた三茶の2LDKのマンションに住んでいたわけなのだが、小説を書く以外何もして いなかった(ぶっちゃけほぼ収入ゼロだった)わたしは、正直そのマンションの月賦を払うのも厳しい状況に追い込まれており、それにひとりではその部屋の90平米 という広さを持て余していた、なんてこともあって、出来ればそのマンションを不動産屋を通じ誰かに賃貸物件として貸し出すことで、自分はもっとコンパクト且つお手軽なところに暮らしたい、なんてちょうど思っていた矢先のことだった。
ナカバヤシさんのそのシェアハウスに関する条件は、はっきり言ってその条件にドンピシャだった柏傲灣示範單位
14畳近くの共有のリビングキッチンスペースに8畳のプライベートスペースで家賃がなんとたったの5万円。
物件としては築30年以上とやや古いモノではあったが、これがまた以前そこに住んでいたナカバヤシさんの叔父さんってのがこだわりのあるアーティストだったらしく、その古さがまた深い味わいのレトロモダンテイストで、絶妙にわたしの食指を動かす結果となった。
 それに加え、当時やや引きこもり気味だったわたしとしては、まあ、これはあくまでも直感でなのだが、なんとなく気を許せるかもと感じていた現在のこのふたりのルームメイトとの共同生活にもかなり前向きだった・・・、と言うか、彼氏とか旦那とかじゃない気の合うオトコ友達となら、適度に心地よい距離を保ちつつもお気楽で楽しいコ ミュニティーライフが過ごせるのではないか?なんてことを以前より真剣に考えていたからであった。
そしてまあ、実際予想どおり言うか、ルームメイトの誰かひとりが元気のない時は残りのふたりが励ます、みたいな極めてポジティブなムードのコミュニティー空間がこのシェアハウスの中には形成されている柏傲灣示範單位
でまあ、そんなわけで今日はわたしがこのおふたりにこうして励まされているわけで・・・、ってまあ比較的一番励まされて来たのはわたしだった。
それでいてそのふたりへの感謝をなかなか言葉に出せないってのがわたしの悪い癖らしい。
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